【№355】無言の賞賛

お掃除でココロもからだもhappyに
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うおさおの会社では、
儒教の考え方でもある
”五常”(仁・義・礼・智・信)の考え方を
スタッフ全員の行動指針として定めている。
今日は月1回の全社会議。
その中で、五常についてスタッフそれぞれで
考える時間を設けている。
今日は五常の中でも”礼”について考える。
”礼”とは感謝する心、敬う心。
感謝される存在になるためには、
まずは自ら感謝することを忘れず、
小さなことや身近な人への感謝を伝えようと教えます。
しかし、現実はなかなかそうはいかない。
感謝するけど、何かしらの見返りを求めて感謝する。
そんな感じで感謝する人がやっぱり多い。
CS(顧客満足)だとか声高らかに言っている人ほど、
自分が顧客の側に回ると感謝のかけらも感じないほどだ。
商品やサービスを買ってもらう側にいるときは笑顔で、
でも自分が商品やサービスを買う側に回ったときは笑顔すらなく、
挨拶もなく文句ばかりだ。
うおさおが言う感謝する心とは、
どんな立場であっても、
そこに全くの見返りがなくても
ただただありがとうという気持ちを持つことにある。
今日の全社会議ではそのあたりを伝えたつもりだが、
どれくらいの人が理解しただろうか?
僕たちはお掃除の仕事をしている。
しかし、お掃除の仕事をしていても感謝されることは少ない。
なぜならオフィスなどに誰もいない時間に仕事をしているからだ。
早朝、夜間、いずれもオフィスにはワーカーはいない。
誰も見ていないし、誰からも賞賛されない。
しかし、誰かがその仕事をしなければ、
オフィスの環境は乱れていく、汚れていく。
そういう意味で僕たちの役割は大きいと考えている。
当たり前のようにオフィスの方々が出勤されて、
当たり前のように一日が始まることで
僕たちは充実感を感じる。
自己満足のようにも聞こえるが、
うおさおはそこに感謝できるかを問うている。
また、社会におけるそういう存在に気づけるかどうか、
そういう存在に感謝できる心があるかどうかが大切だとおもう。
例えば、主婦の仕事、家事。
当たり前のように主婦は家事を毎日淡々としているが、
おそらく感謝されることは少ないだろう。
家事をする人がいなければ、
家庭は回らないのだが、
そこに主婦が感謝を求めると見返りを求めた事になり、
感謝されないならやってられない、となる。
しかし、主婦が自分の役割によって家族が過ごせていることに
感謝し、その役割に充実感を感じることができることがまずは大切だということである。
感謝する心は、
足元にある大切なものに気づく感性なのかもしれない。
自分の利益のために感謝するのが、
多くの会社のCS(=顧客満足)のような気がしてならない。
そんなCSを受ける顧客はかわいそうである。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
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